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進め!阿波探検隊!

阿波藍、阿波藍商人を中心にちょっと昔の阿波徳島を探検します。
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蜂須賀家の居城 『徳島城』 に行ってみた!

今回は、阿波徳島藩25万7千石の蜂須賀家の居城『徳島城』を探検します。

まず、徳島城の今を航空写真で見てみると、

s-徳島城航空写真

(注)「この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである。」

こんな感じです。これは、2007年頃の写真みたいです。

緑の生い茂ったところが城山です。写真だけではイマイチわかりにくいので、案内図を拡大してみます。

s-案内図全体 

この案内図は、鷲の門を入ったすぐのところにあります。(上の写真の現在地のところ)

s-IMG_1883.jpg 

これが『鷲の門』です。
もともとの門は戦災でなくなりましたが、平成元年に徳島市制100周年を記念して、個人により復元寄贈されました。
この『鷲の門』の復元により全体的な外観がキリっと引き締まり、城らしさを取り戻したような気がします。

では、『鷲の門』から順に、「東二の丸」、「本丸」、「西二の丸」、「西三の丸」へと見ていきます。


s-IMG_1885.jpg 

「鷲の門」の北側の石垣の様子。徳島名産の青石が見事!
御堀の幅は約14メートル(東側)。ほかの藩主の城と比べると狭いみたいです。

上の写真の一番手前の石垣のかどっこに『月見櫓』がありました。
『月見櫓』は、出窓付きの2階建で高さは6間、広さは4間四方あったそうです。
ここは取り壊される前の写真が残っています。


s-IMG_1881.jpg  

『鷲の門』を抜けると、『三木曲輪』と呼ばれる広場があり、『下乗橋』を通っていよいよ城内です。

『下乗橋』(別名小見付橋)を渡るとそこが『徳島城』の玄関となる「大手門」です。

『下乗橋』は、もとは木製の橋でしたが、明治になって花崗岩製の今の形になりました。
橋は、長さ9間3尺6寸。幅3間1尺。ここでの、御堀の幅は約18メートル。

s-IMG_1834.jpg 

いよいよ「城山」へ突入です。この階段の右には、「弁天池」があります。(こんなところに池があるとは・・)

s-IMG_1835.jpg 

階段をのぼった城山の中腹に『東二の丸』があります。ここに徳島城の『天守』がありました。
「徳島旧城山之図」によると広さは約315坪。高さは地上19間(およそ34.5メートル)。
『天守』は三層とも五層ともいわれています。天守の1階は7間四方(約14メートル四方)。


s-IMG_1843.jpg 

『東二の丸』の石垣の隅から下をのぞいてみます。
これが、『天守』を支えた石垣です。けっこう急勾配です。(落ちると痛そう。)

s-IMG_1837.jpg 

そしてこれが、『天守』跡から見た『眉山』です。
その昔は、「新町川」や「大滝山の三重塔」なんかも一望できたんでしょうねえ。

s-IMG_1844.jpg 

これが、本丸東側の石垣です。
さらに進むとこの先が『本丸』です。もう一息・・けっこう足にきます。

s-IMG_1846.jpg 

そしてここが、『本丸』です。結構ひろい土地になっています。
写真の手前左側に『清玄坊』をまつっています。
「徳島旧城山之図」によると広さは約1,608坪。高さは地上31間(およそ56.5メートル)。

本丸中央には、藩主のための『御座敷』が設けられ、そのほか、城山管理人のための『御留守番所』や、北・南の『武具櫓』や『弓櫓』など数多くの建物がありました。

s-IMG_1849.jpg 

そしてこれが、『本丸』南側の石垣です。
一説には、本丸の東側部分は後から拡張されたとのことなので、ここがその継ぎ足し部分でしょうか?


s-IMG_1852.jpg 

いよいよここから下って行きます。

s-IMG_1855.jpg 

下りが続きます。いざ、『西二の丸』へ!

s-IMG_1856.jpg 

ちょっと進んで振り返るとこんな感じ。(写真正面奥が『本丸』)

s-IMG_1857.jpg 

さらに下っていくと、『西二の丸』があります。
「徳島旧城山之図」によると広さは約235坪。高さは地上26間(およそ47メートル)。
そのそばに『張櫓跡』があります。

s-IMG_1862.jpg 

『張櫓跡』を下ったところから振り返って見たところ。

s-IMG_1863.jpg 

そして、ここが『西三の丸』です。ここで一応最後です。


西坂口の石段を下ると徳島城公園へまた戻って来れます。

そこから、『鷲の門』のほうへ進んでいくと、

s-IMG_1825.jpg 

立派な銅像があります。
そう、この人が『徳島城』をつくった『藩祖 蜂須賀家政公』です。

『徳島城』は、蜂須賀家政が天正13年(1585年)に築城を開始し、数々の改修を経ながら、明治8年(1875年)まで存在しました。

徳島場の築城にあたっては、急ごしらえの面もあり、石垣の積み方も統一感はなく、城の規模も、27万5千石の大名にしては小さいかもしれませんが、取り壊されずに残っていればいい名所になったと思うと残念です。

最後に、徳島中央公園内にある『徳島城博物館』には、『徳島県立貞光工業高校』制作の『徳島城復元模型』が展示されています。これは、一見の価値ありです。

















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[ 2012/06/17 11:34 ] 徳島城 | TB(1) | CM(2)

久次米兵次郎の献奉物探検!

今回は、『久次米兵次郎』の献奉物を探検します!

久次米兵次郎は、徳島を代表する藍商人で、主に、江戸では『大坂屋庄三郎』、大阪では『米津屋庄三郎』を名乗っていました。阿波大尽などともてはやされ、全国でその豪遊ぶりや、羽振りのよさで有名な阿波藍商人の中でも別格の存在でした。

おしくも、明治24年の日本初の金融恐慌による久次米銀行の破綻をきっかけに、その後の明治33年頃にはほとんどすべての事業から姿を消します。

しかし、そんな久次米兵次郎ですが、徳島県ほか、各地に当時の繁栄をしのばせる献奉物が残されています。

今回はその献奉物をたどってみたいと思います。


s-IMG_4879.jpg

徳島市二軒屋町の忌部神社玉垣親柱に刻まれた 『 久次米兵次郎 』 。



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勢見金刀比羅神社の石段玉垣の久次米兵次郎の家印 『 て 』 印 。


s-IMG_5682.jpg 

勢見金刀比羅神社の石段最上部止石に『 壱壇  北新居 久治米兵次郎 』(上の写真の一番右の列)とあります。
けっこうすりへってます。





s-IMG_5685.jpg 

勢見金刀比羅神社の絵馬堂裏側の降り口中段にある 『 て 酒店中 』 の玉垣。




s-IMG_5658.jpg 

佐古諏訪神社の登り口(左側)の 『 久次米兵次郎 』 と刻まれた玉垣。
横には 『 同一門中 』 と刻まれた小柱が並ぶ。



s-IMG_5671.jpg 

佐古椎宮神社の 『 て 米津屋酒店 』 と刻まれた玉垣。




s-IMG_2171.jpg 

讃岐金刀比羅宮の遥拝所の灯籠。



今回は主に、『久次米家家史事跡(略記)』に掲載されているものを中心に探検してみました。

久次米兵次郎は、藍・材木を中心に財をなした商人ですが、こうして献奉物をみてみると、「酒店」としてのものがけっこうあり新たな発見でした。

ふと立ち寄った神社やお寺で狛犬や灯籠、玉垣をじっくり見ていくとまだまだ新しい発見があるかも・・・。





平成24年4月1日 遅くなりましたが『二葉登場!』

s-IMG_5447.jpg 

この写真は平成24年4月8日の状態


なんとか無事に『二葉』が顔を見せてくれました。(4月1日二葉登場!)
『二代目』が無事に発芽するかちょっと心配でしたがやってくれました。
『初代』も一年目と変わることなく元気に顔を見せてくれました。
<今年の種のメンバー紹介>

『二代目』・・・阿波探検隊がプランターで手塩にかけて育て、採種した白花小上粉
『初代』・・・2年前に頂いた種の残り。(採種してからだと3年目)
       ※冷蔵庫で2年頑張りました。まだだいぶ残っているので冷蔵保存の種がいつまで発芽するか試してみようと思っています。

       
去年は、3月5日に蒔種して、3月14日に『二葉』が出ました。
今年は、3月11日に蒔種して、4月1日に『二葉』が登場。
こうして比べてみると今年は発芽までだいぶ時間がかかったようにおもいますが、こんなもんでしょうか?

ちょっと調べてみると、明治31年の『農事試験場特別報告・阿波国藍作法 第二号(農商務省農事試験場)』によると
「種子を適当の時期に於いて播下すれば、二十日乃至二十四五日にして発芽す。」とあります。

なにはともあれ、『二葉』が出たのでよしということでしょうか。
s-IMG_5459.jpg

これが4月12日の写真です。見る見る緑が濃くなっています。


次は、『間引き』です。
それと、プランターへ移植する準備もしなければ・・・。
<『二葉』を見た親子の会話>

隊長 :「藍が芽をだしたぞ~

隊長ジュニア :「天婦羅まだ?」

隊長 :「まだ!・・・
すでに狙われていますが、無事に大きくなりますよ~うに!パンパン!



平成24年3月11日『二代目のスタート!』

s-IMG_4823.jpg 

また、藍と共に暮らす日々がやってきました。 


去年から、「阿波藍」の代表的な品種の『白花小上粉(しろばなこじょうこ)』を育てています。

一番最初は、平成22年になりますが、そのときは途中で断念してしましました。

去年は、冷蔵庫で保存していた種子を播いて、試行錯誤をしながら、なんとか花が咲き、種を取ることができました。

畑などがないので、プランターでの栽培で育てています。(プランターは長辺が50㎝短辺が20㎝位の大きさのものを2個)

上の写真が、去年取れた『白花小上粉』の種子です。

本当はもっと種子が付いていましたが、収穫のタイミングが分からず、その多くがどこかへいってしまい、

手元に残ったのがこの量になってしまいました。(貴重な二代目です!)

今日は、この二代目を蒔種しました。(去年は3月5日に蒔種しました)

こんな感じです。

s-IMG_4830.jpg 

一番左の筋のポット4個が平成22年の初代です。(まだ種子は100グラムくらい残っています。)

その他が去年取れた『二代目』です。

ふつうにいくと2週間くらいすれば、芽がででてきます。(案外この芽が出るまでが一番楽しい時間かも・・・)



藍は、1年草で、栽培し続けるためには、毎年種子をとり、育て続けなければ存続できません。

とにかく、育て続けることが必要です。

今日は、昨年、東日本大震災の起こった日からちょうど一年にあたります。

これから、藍は芽を出し、夏には青々と葉を茂らせ、生命力がみなぎってきます。

藍の成長のように、被災地の復興が生き生きと実現していくことを願ってやみません。 




次は、元気な『二葉』のご紹介が出来るように頑張ります。

最後に、無事『二代目』の顔が見れますように!

復興が進み、少しでも被災地の皆様に笑顔が戻りますように!


<こ><さ>◆「阿波藍商人名帳」◆

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阿波藍商人は全国各地にその取引先をもち、一説にはその売り子は4000人以上いたといわれています。
しかし、実数はわかりません。その中で、「阿波藍商人」が足を踏み入れない土地はないとまで言われる藍商人達を分かる範囲でできるだけ調べたいと思います。

そして今回第五弾として 『こ』 『さ』 のつく人達です。

◆こ◆

小泉佐右衛門
鴻野與右衛門
鴻野與兵衛
紺屋司又五郎
小倉屋甚右衛門
小林屋彌助
米屋清市郎
後藤利八郎


◆さ◆

酒井哲一
堺屋清七
佐藤勝英
佐藤慶二郎
佐藤周次
里上宗次郎
佐野忠次郎
佐野勇次郎
寒川道之丞
佐山市十郎
澤眞太郎
澤田覚三郎


※おことわり
 ここに挙げた人名は隊長の独断で選んでおります。また、勝手に追加したり削除したりしますので悪しからず。
 藍商人か否かの判断も厳密なものではありません。藍に関してなんらかの関係がある人物であれば取り上げるこ ともあります。(また、同一人物が「人物名」と「屋号」の双方で出ている場合もあります。)

プロフィール

十路べえ隊長

Author:十路べえ隊長
ようこそ!阿波探検隊へ!
最近、阿波藍、阿波藍商人について興味がわいてきたので阿波探検隊を結成しました。ちょっとづつ探検していきますので気軽にお付き合いください。

これは『阿波探検隊!』のロゴマーク(大印)です。かつて阿波藍商人が藍玉の俵に入れた「家印」を真似てみました。

<よみかた>
かくにあのじせいかいは

※「阿」の字は「阿波」と「阿波踊りの踊る”阿呆”」からとりました。「青海波」は代表的な和柄のひとつで波の連なりから縁起がよいとされています。「阿」の字と「波」で全体として「阿波」にもかけています。

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